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2007.11.13

初個展『秋谷志織展 キモノ→コモノ』ごあいさつ


伝え使いが可能な日本の伝統的なキモノの、本来あるべき姿は
身に纏う事でありますが、如何様にも変貌をとげる事ができます。

昭和7年生まれの祖母の話によれば、
農家の娘の嫁入り条件は、機織り、和裁が上手な事でした。
明治元年生まれの曾祖母の時代では、
これらの条件に加えて糸が紡げる事が必須項目でした。

蚕を飼い、
繭から糸を紡ぎ、
機を織り、
染物屋の親戚に好みの色、柄を染めてもらい、
それを自分の身丈に仕立てていたのです。

(染める行程にも、下図、型置き、刷毛染め、蒸し、水元、があり
複雑な図案ほど型の枚数が必要なので、型置きから水元までを何度
も繰り返す場合もあります。)


世界に一枚きり。


手間ひまを費やし、一枚のキモノを作る。
なんて、とても贅沢のように聞こえますが、
資産家の令嬢が贅を尽くして誂えるのとは、訳が違います。


全て自前の労力の賜物であり、当時は自給自足が当たり前だったのです。


しかし、誂える数は無数にあったのではなく、
少ない手持ちの中で工夫して着こなしていたのです。

それは例えば、
キモノを一度壊して染め直して新しい生地として。
羽織に、襦袢に、仕立て直したり。
後ろ身頃がすり切れたからといって、見苦しいから処分するのではなく、
仕立て直して前後ろを逆にしたり。
更には座布団、はたきなどにまで、

一枚の白い布は、
色、柄、形を変化させながらそれはそれは大切に、
くたくたのなるまで扱われていったのです。

このように限りある物の中で、



工夫して楽しんで『衣』『住』と上手く付き合っていく事



が、本当のお洒落なのではないかと考えます。






身に纏うものとしての役目を終えてもなお美しい一枚の布に、
もう一度新たな息吹を注ぎ込み、携える物として甦らせて参りました。

形は同じでも色や柄、素材の風合いが違えば印象もガラリと変化します。
多種多様な個のあり方をご覧くださいませ。






2007.10.30   秋谷 志織

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