旧渋沢邸『中の家』 その1
通称『中の家(なかんち)』と呼ばれる渋沢家の住宅等です。
渋沢一族はこの地の開拓者であり、分家して数々の家を起こしました。
『中の家』もその1つで、呼び名は各渋沢家の位置関係に由来するものです。
渋沢栄一の生地ではありますが明治25年の火事により焼失し、
現在の主屋は、明治28年家督を継いだ、妹夫婦の市郎・ていによって
再建されたものです。
*正門*
門は薬医門の造り。正門の扉はケヤキの1枚板で作られているが、
市郎(栄一の妹の夫)がこの地方の大木を探し求め、時間をかけて
1枚ずつ集めたもの。大正初期に建てられたもので、唯一
当時のままの状態の為、文化財にしていされているそう。
*副屋*
正門の向かって右側に道路沿いに佇む建物で、現在の副屋は
明治44年に上棟。お店として、藍玉の取引に使われていたそうだ。
*土蔵1、2*
右の土蔵は地下があり、現在は藍玉の資料館になっています。
米や藍を貯蔵していた蔵だそうです。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
そうだ、そのうち資料館として使うと以前行った時に言ってました。
もう開いていたんですね。
投稿: たくあん | 2009.11.10 01:18
■たくあんさん
あ、最近資料館になったのですか?
時間がなかったので詳しくは見学しませんでした。。。
投稿: shioring | 2009.11.11 23:41