さあさあランチの時間です。美味しいドライカレーをいただきながら
Rさんから『花火のお話』を聞かせていただきました。
江戸時代に盛んになった花火のその火薬の配合というのは、当時から
殆ど変わっていないそうです。不変的であるのにもかかわらず、
その人気は衰える事を知りません。一体何故なのでしょう?

花火を形成する黒色火薬は、種子島に鉄砲伝来と共に、同じ日に
同じ船で運ばれて来ました(蛇味線も)。それは忍者の武器として、
城に火をつける為のロケットに使用されていました。
花火はイギリスから輸入されたのですが、当時は筒を人が持って
打って見せるもので、それを日本で初めて見たのは、かの徳川家康
だったのです。
家康は江戸に火薬工場を作らせました。頭領は伊賀の忍者出身で、
武器や花火を製造する『鍵屋』と言うなの店でした。
(打ち上げ花火を見ている際に『か〜ぎや〜』と叫ぶのは↑から
来ているのでしょう)

空に向かっての花火を始めたのは、8代将軍:吉宗でした。
当時、大飢饉のために疫病が蔓延し多くの死者がでました。
その鎮魂や供養の為に1733年に川開きの際に花火を催したのが、
隅田川花火大会の起源と言われています。
今以上に大規模だった、川開きの花火は16時に始まり翌朝の4時に
終わりを迎えると言う、なんと12時間も供養の為に打ちっぱなしだった
そうです!しかしまだまだ物足りなくて「もっと供養したい」と、
お線香を手向け、帰らない人々がおり、それを見て開発されたのが
線香花火でした。
手筒花火から、現在のような打ち上げ花火になったのは幕末で
ヒュ〜っと一本 光が流れるのが花火だったのです。
パッと開く花火になったのは明治時代になってからでした。

お話を聞いていて、そういえば、、、と思い出しました。
私が学生時代によく連れて行ってもらっていた、新潟の片貝の花火は
『奉納煙火(ほうのうえんか)』と言うのですが、なんでだろう。。。
とずっと不思議だったのですが。。。
『花火というのは元来、亡くなった人の為の供養を意味する』という
事を聞いて私の中で合点しました◎
*片貝まつり http://www3.ocn.ne.jp/~tadachi/maturi.htm
因に片貝は3尺玉の発祥の地で4尺玉は世界一。花火の形式は
華美さを競い合うものではなく(金一色や銀一色を土地の人は好む)
1つ1つ丁寧に説明し、夜空に奉納して行く。
江戸時代から受け継がれて来ている花火とは、一瞬だからこそ人々の
心をつかんで放さないのしょう。永遠に見ている事が出来ない事が
魅力に繋がるのでしょう、と締めくくられておりました。
*画像の茶色い塊のものは珍しい『本蕨餅』です。
モチットしていてすぐに口で溶けてしまいました◎
蕨餅の概念が変わるほど美味(笑
ブログランキングに参加しております。
沢山の方にご覧いただき嬉しい限りです。
更新の励みになりますので、
ワンクリックお願いいたします♪
↓↓↓

最近のコメント